竹下 佳江

アスリートライフ

子供たちがいろいろなスポーツを経験して、
バレーボールを選んでくれたら嬉しいですね。

現在いちばん力を入れているのは、バレーボールの普及活動です。いわゆる“ママさんバレー”の人口は増えているんです。過去に経験のある方がチームをもったり、積極的に活動されています。今は60代・70代の方もいらっしゃいますね。ただ、バレーボールは膝や関節を使うので、無理をしないで続けてほしいですね。

“ママさんバレー”は地域の活性化にも役立っています。東日本大震災以降、地域の結びつきの重要性が説かれていますが、まさにバレーボールはその役割を果たしているといえるでしょう。経験のある人がチームをひっぱり、そこに経験のない人が入り、バレーボールの楽しさを知るといういい循環があります。

かつては、地域での運動・スポーツというものが重要なものだったと思います。私もバレーボールに限らずそうした団体種目を子どもの頃から地域で経験することによって、団体種目の面白さにめざめ、そして、バレーボールの魅力にめぐり合いました。

代表が強くなる一助を担いたい。
それによって、見る者に夢を与え、
その夢が新しいアスリートを生む。

現在問題となっているのは、子供たちの運動・スポーツ離れです。子どもの頃からもっと地域のイベントや運動チームに参加してほしいと思います。私も子どもの頃は裸足で駆け回っていましたから(笑)。いろいろなスポーツをしてみて、それからひとつを決めればいい。団体競技よりひとりでやるほうがいいなと思えば、個人競技を選べばいい。まずはバレーボールの人口を増やす前にスポーツをする子どもたちの数が増えてほしい。

もちろん、バレーボールもさらに普及してほしいです。私ができることはまずバレーボールの魅力を伝えることですから、そのために地域のバレーボール教室に参加して教えたりすることで、裾野を広げていきたいと思います。

バレーボールって、ワン・ツー・スリーというんですかね、レシーブして、スパイクして、アタックする。みんなでひとつのボールをつないで一点になる。仲間と助け合ってひとつの形をつくっていくというのは、教育的な観点からもとても大切なことだと思います。

私がセッターというポジションだったこともあるとは思いますが、人のことを考えながらやるスポーツなんですね。自分の事だけを考えてもいけない。それは、コミュニケーションが問題になっている今の子どもたちにとって、大きな学びの場になると思います。

特に減っているのは男子バレーの競技人口です。中学や高校のクラブ数は減ってなくても、その人数は減っています。かつてほどの人気はなくなっていると思います。

YOSHIE TAKESHITA竹下 佳江

1978年、福岡県生まれ。1996年、不知火女子高等学校からVリーグのNECレッドロケッツに入団、その後、日本代表入り。2000年、シドニー五輪の出場を逃し、一線を退く。2002年、JTマーヴェラスに入団し、代表に復帰。2004年、プロ宣言し、アテネ五輪に出場。2010年、世界バレーで32年ぶりのメダル獲得に貢献。2012年、ロンドン五輪で悲願のメダルを獲得。2013年引退。現在はバレーボール協会・理事を務める。竹下佳江に関する本として「世界最強セッター 竹下佳江 短所を武器とせよ」(吉井妙子・著 新潮社・刊)がある。

野球のイチロー選手やサッカーの本田選手には夢がありますよね。夢って、大事なことだと思うんです。バレーボールの中にも夢をつくっていかなくてはいけない。女子の日本代表はロンドン・オリンピックでんメダルを取りました。日本代表と、バレーボールの普及活動は密接に結びついていると思います。だから、代表は強くなくてはならない。その一助を担いたいと思っています。

私が理事になって最初に協会から言われたことは、現場にいちばん近いところから発言してほしいということでした。女子代表の真鍋監督からは、選手にアドバイスをしたり話を聞いてやってほしいと言われました。実際、選手とはよく話しますね。大会の前もそうですし、プライベートで食事に行くこともあります。選手の声を聞き、そのひとつひとつを協会に届け、環境や待遇を改善したい。それによりチームはより強くなり、子どもたちの夢にもなる。

そういう意味では、私も少しは夢を与えられたかもしれません。身長が159cmしかなくて、いろいろなことを言われてきましたが、「竹下さんを見て、私もがんばろうと思った」「身長が低くても、やれるんだ」という声をたくさんいただいてきました。その中から、ロンドン・オリンピックを一緒に戦った中道(瞳)選手や佐野(優子)選手が出てきてくれたんですね。二人とも私と同じ159cm。私は引退しましたが現役のふたりを見て、がんばる子どもたちがまた出てくるでしょう。

実業団に所属していた代表の時代は、いろいろな活動をしたくても、それができませんでした。2004年にプロ宣言したのもひとつはそういう気持ちからでした。(竹下はプロ宣言後、児童養護施設にバレーボールを送ったり、実際に施設を訪ね、バレーボールを教えたり、日本で行われる国際大会には「竹下シート」を設け、施設の子どもたちを招待していた。また、震災後、義援金を送り、被災地でのボランティア活動もしている)

私を育ててくれたバレーボールに恩返しがしたいんですね。それは理事としてではなく、一人の元アスリートとしての気持ちなんです。一方で主婦の仕事もありますが、今はできる範囲で、夢をもってバレーボールをはじめる子どもたちをひとりでも増やしていきたいと思っています。

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2014.05.19 UP